羽仁もと子と吉一の著書から読者の読後
愛と寛容
(羽仁もと子著作集 2巻 思想しつつ生活しつつ上)
自分は至らないものだと、だれでも一方で思っていながら、他人(ひと)に対する時は、多くの場合自分一人がよいものであるかのような気になって、他人の不行届きを不快に思い、心ひそかに咎めたてをしているものです。
私どもがほんとうに他人を愛することの出来ないものは最もこのためです。私どもを愛に連れて行ってくれる最初の手引きは寛容の精神ではないかと思います。
読者より
自分が正しいと思えば思うほど、そうでない相手を非難したくなってしまう。正しいことを行う心と大きなる寛容を合わせ持たなければ、相手の心には届かないとしみじみ思います。
(浜松/50代)
母のねがい
(羽仁もと子著作集 18巻 教育三十年)
よく教育するとは、よく生活させることである。
親は子供によい教育をしなくてはならないとは、だれも思っていることですが、よい教育をするとは一体どういうことでしょう。ただただよい生活をさせることです。
読者より
三歳と一歳の男の子を育てている。子供たちをどのように育てるか、どのように導いて行くのか悩むこともある。習い事の広告やあふれる子育て情報にふりまわされそうになる時、この言葉を思い出す。そして子育てに本当に大切なことは、知識を教えこむことではなく、生活する力そのものなんだ、という考え方に戻ることができる。
(岡崎/30代)
いつでも希望が近くに私を待っていた。
(羽仁もと子著作集 14巻 半生を語る)
いろいろの苦労をしたらしいと、人はみな思っているようだけれど、苦労が私を囚えるよりも、いつでも希望が近くに私を待っていた。
読者より
つらいこと、苦しいことの中にある時、それに囚らわれていては、自分のまわりに用意されている豊かな恵みに気がつかない。自分が弱くなっている時にこの言葉を思い出して、苦しさより大いなる恵みの中にあることに勇気を得ます。
(東京/40代)
後ろばかり振り返らず、どんな時でも前向きに生きることに気づかされます。そして現実を受け入れること、そこから新しい考えや勇気がわいてくるような気がします。
(仙台/50代)
春は来りつつある
(雑司ケ谷短信 上巻)
霜柱、厚氷、空風、咳、凍傷―冬の威圧の前に、人々は絶望的にかじかんで、春は遂に来ないのかとさえ思ったりする。しかし日あたりを歩いて見るなら、枯草の間には青々とした蓬の芽がもえだしているではないか。沈丁花の厚い葉の中には、赤い蕾がふくらみかけているではないか。冬の虐げの下で、静かな春の営みが用意されているのだ。春はやっぱり来るのだ。春は来りつつあるのだ。
If Winter comes, can Spring be far behind? (冬来りなば春遠からじ)といったシェリの詩(Ode to the West Wind)の結びの句を想い出す。
(昭和八年二月)